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市川市と株式会社フジイのあゆみ
創業当時は、自宅で行う葬儀が一般的だった時代です。
訃報をいただいたあと、棺桶一つ持って自宅にかけつけて、
地域の方々のご協力をいただきながら葬儀が進んでいきました。

その後、地域で営まれていた葬儀は次第に姿を消し、自宅で行う葬儀が減って、
斎場を利用する人が多くなっております。
檀家制度が崩壊したことや、いわゆる無宗派層が増加し、
身内だけで執り行う家族葬が一般的となってきました。

また、昔は生きているうちに葬式について考えることは
タブーだとされていましたが、現代では、生前の葬儀相談や見積もりなど、
葬儀自体がオープンになってきたことも特徴です。

ただ、まだまだ故人の意識は葬式には反映されることは少ないのが実情です。
葬儀を仕切る人・実行する人によって、だいぶ変わるものです。

私(社長)は、ご遺族の一員となることをスタイルとしています。
私の打ち合わせの場合、葬儀の話は一割ほど。
家族関係を聞き、現在の状況・親戚関係などを聞き、ご提案をさせていただきます。

ご家族のバックボーンを把握し、円滑に進めること。
葬儀全体の雰囲気にもかかわる重要な部分もお任せいただきたいと思います。

市川は、実はとても古い歴史を持つ街です。
縄文時代の貝塚が多く残っていたり、万葉集に出てきた絶世の美女・手古奈が住んでいたという伝説や、
宮本武蔵が船橋の合戦所に行く際、市川市の徳願寺に登場したなども残っている、
史跡と歴史の街でもあります。

産業としては、かつては毛織産業が盛んで、現在のコルトンプラザがある土地は
もともとは日本毛織の工場があった場所ですし、市川毛織(現:イチカワ株式会社)もありました。

さらに、日本有数の食品会社となっている山崎製パン株式会社や、株式会社サイゼリヤの発祥地でもあります。 また、かつてはお屋敷町として文化人や企業の経営者などが住居を構えていた街でもあります。

現在は、昔ながらに住んでいらっしゃる方、他県から引っ越されてきた方で形成されている住宅街です。
交通の便がいいことから、都心へのベッドタウンとして栄えてきたという背景があります。
駅前には高層マンションが立ち並び、南側は主に住宅地として開けています。

北部の傾斜地等には豊かな自然が斜面林などとして残り、市川の梨は、
日本的ブランドとして有名でもあります。

そんな市川市大洲にて、株式会社フジイは、昭和51年に「市川山金葬儀社」として創業いたしました。
翌年には市川病院(現:東京歯科大学市川総合病院)よりご指定いただき、
現在に至るまで市川病院にてお手伝いをさせていただいています。

さらに54年、昭和58年、平成7年には市川、浦安、行徳の警察署からご指定をいただき、
事件・事故などで急逝された方、また自宅などで孤独死を迎えられた方などの
お見送りのお手伝いをさせていただいております。

また、市川市の福祉事務所よりお話を頂き、身寄りのない方や経済的に弱い立場の方々の
お見送りも多数させていただいております。
これは、当社が長年市川でお見送りのお手伝いをさせていただいてこれたことへの、
社会への奉仕と思って取り組んでいる事業です。
地元・市川を愛し、地元・市川の皆さんと歩んでいく。 そんな会社で有り続けたいと思っております。

株式会社フジイ
代表取締役 藤井隆大郎

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